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新しくなって帰ってきた、何でも看護のブログ編。日々の看護への気づきを、まったりと書き添えていきます。看護に興味のある方、コメント等を頂けると嬉しいです。
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看護師
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某看護大学を卒業。病院で働く看護師です。日々の看護への気づきを、まったりと書き添えていきます。看護に興味のある方、コメント等を頂けると嬉しいです。看護学博士。
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みなさん、本当にさぼりぎみで申し訳ありません。
少数でもファンの方が増えてきて、嬉しい限りです。

さて、今回の第6回は、アブデラは「看護」をどのように捉えていたのかを紹介します。

アブデラの略歴は、1945年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジで看護学学士号を取得します。
1955年には同大学で教育学博士を取得。
中央省庁に勤務し、主任看護官を勤めました。

1960年に、アブデラは、患者中心の充実した看護を呼びかけるために、有名な「患者中心の看護」を執筆されます。

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そこでは、アブデラは、「
看護は個々の患者および家族、社会に対するサービスである」ことを提案しました。

アブデラによれば、「看護は、科学、芸術であり、それらが看護師に対して人々を、健康、疾患に関わらず、人々の健康ニードに対応する助けたいという気持ちや能力を育み、その看護ケアに必要な個人のナースの態度とか知的能力やテクニカルな技術を型どらせる」と述べられています。

アブデラ看護理論の中心的な考えは、「看護は人々の健康ニードに関する問題に対して問題解決のアプローチをとる」というのものです。

主要概念には、「健康」「看護問題」「問題解決」の3つがあります。

アブデラは、正しい看護の問題の把握は、患者の問題解決への次へのステップを選ぶ看護師の判断に影響すると考えました。

そして、アブデラは、次の21の看護問題をあげ、看護師にとってどのような看護問題が患者におろるであろうかを予測するガイドライン的なものを作成しました。(詳しい内容は、理論の本を参照してください)

さてさて、ここまでがアブデラ看護理論のさらっとした概論です。

次に、アブデラの「看護」の定義づけについて考えてみます。

アブデラも、他の理論家と同様に、「看護とは・・・である」とは定義されていないようです。

しかし、看護の概念の方向性を示されているので、そこから予想してみたいと思います。

アブデラは、
看護は、個人と家族に対するサービスであるがゆえに、社会に対するサービスとなるである。これは芸術と科学に基盤づけられた個々の看護師の態度、知的能力、技術的能力を、病人、健康人を問わず、人の保健問題を援助するように活かし、そして、それは一般的、特殊的な医療方針のもとで遂行される」
と考えていました。

ここでアブデラの定義で驚くべき事は、看護の対象を「個人」だけでなく、「家族」や「社会」にまで拡大し、さらに「病人」「健康」は関係なく捉えていた点です。

国際看護師協会(ICN)のような近代看護定義では、当たり前のように看護の対象は個人だけではなく、健康・不健康も関係なくと考えていますが、1960年にすでにアブデラは近代看護の先端をいっていたのです。

なんという先見の明でしょう。

すなわちアブデラは、それまで病人への看護という「横断的な看護の提供」から、病気になる前から退院した後の看護という「縦断的な看護の提供」を考えたのです。

これって、「継続看護」の走りですよね。実は今では当たり前の、「継続的な看護の先駆者」だったのです。

まとめていくと、アブデラは
「看護とは、病気、健康を問わず、個人、家族、社会に、芸術と科学を基にして形成された看護師の態度、知的能力、技術的能力を提供すること」となるのでしょうか。
 
50年前に21世紀を見据えて看護観を持っていたアブデラの先見の明に敬意を表します。

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さて、久しぶりの再開の内容は、以前に理論の本を読んでとても勉強になった、マーサ・ロジャーズ博士にする事にします。

ロジャーズは、1914年5月12日に(ナイチンゲールと一緒です。本人はすごくつながりを感じていた様です)、テキサス州ダラスで生まれました。

ロジャースは、テネシー州のノックスビル総合病院看護学校で看護を勉強し看護師免許を取得しました。

その後、ロジャースは保健師として働いた後に、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで公衆衛生看護管理の修士号取得。
続いてジョンズ・ホプキンス大学で公衆衛生看護修士、理学博士号を取得しました。
1954年からはニューヨーク大学看護学部で公衆衛生看護、訪問看護の教授をしました。

ロジャースの代表的な看護理論は、
「ユニタリー・ヒューマン・ビーイング」
という名で数多くの論文として発表されました。

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ロジャーズ看護理論の基本となる重要な概念は、
「人間は開放系であり、宇宙と恒常的に相互作用を続ける複雑な電気力学的な場である」

「生命過程をホメオダイナミックと概念化し、4つの原理(後に3つに変更)を明らかにした」
という2点だと私は思いました。

つまり、ロジャースは、それまでに誰も考えなかった看護理論として
「人間の生命過程の特徴を4つの領域
エネルギーの場としての人(一つの単位としての人間存在)、開放系(つまり、完結することのないシステム)、さまざまなパターン様式、時間と空間に留まらず物事には様々な次元があるということ」
を提起しました。

これは当時には衝撃的な事だったと思います。

今も理解するのに困難ですが・・・

さて、本題ですが、ロジャーズは「看護」をどの様に定義していたのでしょう。

明確な定義を行なってはいないのですが、
「看護とは・・・」
と何度か言っておられるので、そこから私が想像してみたいと思います。

それは・・・まとめると、ロジャースは、
「看護とは、科学的な看護研究と論理的分析によって明らかになった、科学と技芸を用いる知的専門職業」
ではないか考えていたと思います。

すなわちこれは、看護は科学の一部であり、看護学を学んだ者でしか、その思考、技術は行なえないという事です。

看護は誰にでも出来るものではなく、看護学を学んだ者でしかできない、知的専門職業なんです。

そう思うと、我々は医師の補助者ではなく、病院の何でも屋でもなく、無くてはならない専門職なのです。

私は、これを目にしてすごく励まされました。

日々の業務の中で、「看護の専門性ってなんだろう」って考えていると、よくわからないといのが現実でした。

でも看護学を日々勉強し、それを極めていこうとしている看護職はすてきだと思います。

多くの看護師はそれを目指して頑張っているんだと、改めて気がつきました。

宇宙から人間を見て看護を展開しようとするロジャーズ博士の、大きな人間像に感銘を受け、日々の自分の看護に勇気と元気を頂いたような気がします。

お久しぶりです。

本業が忙しく、全く手をつけないでいました。

しかし、毎日数人ではありますが・・・このブログを見て頂ける方がいらっしゃるので本当に感謝です。
さらにコメントを頂いて、書く意欲を書きたてられます。

細々と、私の勉強した事や、思い、感じた事を書き添えていきますので、コメントや感想、ご意見など頂けるとありがたいです。

ご無沙汰しております。

しばらくぶりに、看護の定義について考える を書き進めようと思います。

今回は、ぺプローについて取り上げ、ペプロ-の看護観を探ってみる事にします。

まずは、ぺプローの略歴から紹介します。

1931年に病院付属の看護学校を卒業。その後心理学で学士、コロンビア大学で博士号取得しました。

日本では1952年に発表された「人間関係の看護論」が有名です。

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ペプロ-の「人間関係の看護論」とは、噛み砕いて説明すると・・・(詳しく知りたい方は自分で勉強してくださいね)

ペプローの理論は、ソーンダイクのニード論、サリバン、フロムの人間関係の理論から影響を受け構成されています。

ペプローは、心理学学士の教育背景から、看護への心理学的理論のアプローチを試みました。

それまでは、非常に緊密な看護師-患者関係は精神看護の分野で扱われる問題と解釈されていたようです。

しかし、ペプローは全ての看護場面で円滑な看護師-患者関係が必要であると訴えています。

ペプローにとって、看護の定義は次のように考えていたようです。

・・・「看護は有意義な治療的人間関係の過程である。看護は地域社会の人々の健康増進するため、様々な人間関係と協力的な機能を果たす。専門職保険医療チームが健康サービスを行う特定の状況においては、看護師は人体の自然回復傾向を助長するような条件を構成する役割を分担する。看護は教育的な手段であり、成熟を促す力であり、人格の創造的、建設的、生産的な方向への発展および個人生活、地域社会生活の進歩を促す事を目指している。」・・・

ペプローの看護理論は、まさに看護とは「看護師-患者の人間関係」を中心と捕らえているとかがすごく共感できます。

さらに、ペプロ-は、患者のニーズの充足をしつつ、患者と共に看護師が共通のゴールに向けて成長しなさいといっています。

ペプロ-は、この患者のために必死に看護師が努力する過程が、看護師の成長を生み、看護の発展につながるのだと言っています。

確かにその通りだと・・・

学生時代、担当患者の為に寝ずに退院パンフレットや生活指導用の教材を作製した事を思い出しました。

段々と看護師として年数を重ねるごとに、そんな事をしなくなってきていました。

それは成長したのかもしれませんが、成長が止まった事でもありますね。

反省です。

忘れていた思いが蘇ります。

「患者さんに、私の情熱が伝わる看護をしたい。」

私が卒業時に言っていた言葉です。

今私は、どれだけ患者に情熱を持って看護しているのか・・・。問いただして・・・

人間味のあるペプロ-博士の思考に触れられました。

 

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3回目の今回は、世界最大でもっとも看護界に影響力のある、国際看護師協会の考えている看護の定義について。

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ちなみに国際看護協会(ICN)とは、何だろうという方の為に。

国際看護師協会(International Council of Nurses / ICN)は、各国の看護師協会(national nurses' association / NNAs)から成る組織で、125もの国の看護師を代表しています。

国際的な保健医療専門職団体として、1899年に世界で初めて設立された最大の組織です。(2003年7月現在、加盟協会数は125ヶ国(地域)125協会。) : 日本看護協会より。

そして、現在の国際看護師協会(ICN)の会長は、戦後の日本の看護界を牽引し多大な功績を上げ続けている南裕子先生。

この人は学会でお会いしたが・・・オーラが出ていたのを記憶しています。すごく魅力的な人柄であったのも記憶しています。

さて世界の看護師の親玉である国際看護師協会(ICN)は、我々の看護という言葉をどの様に定義しているのでしょう。

看護とは、あらゆる場であらゆる年代の個人および家族、集団、コミュニティを対象に、対象がどのような健康状態であっても、独自にまたは他と協働して行われるケアの総体である。看護には、健康増進および疾病予防、病気や障害を有する人々あるいは死に臨む人々のケアが含まれる。また、アドボカシーや環境安全の促進、研究、教育、健康政策策定への参画、患者・保健医療システムのマネージメントへの参与も、看護が果たすべき重要な役割である。  : 日本看護協会訳より

これは恐らく、現在考えられている最新かつ最高の定義なのです。

私の印象ですが、ありとあらゆる分野で働く看護職を漏らさず頑張って定義の中に押し込んだ感がします。


全ての分野で働く看護師に、看護とは看護師の行う全ての行為を看護と呼びますと。

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それは定義として成り立っていくのでしょうか(というかもう既に成り立っていますね)・・・確かにそれは理解できますが・・・、曖昧に定義して、含みを持たせて、看護師は色々な事をして行こうという下心もチョット見えます。

まあ、多くの人が感じているかもしれませんが、看護師は何でも屋であるから、定義は曖昧にしておいた方が、色々な事ができるからいいという感じもします。

国際看護師協会(ICN)ですら、このように曖昧な定義ですから看護とは何かを探る事は非常に難しくなってきました。

この定義は、頭で理解は可能ですが、実際の看護師の看護の価値観を変えるような定義にはならないような気がします。

少なくとも私はこれを私の看護の支柱には出来ません。

しかし、ナイチンゲールやヘンダーソンの定義については、頭で理解するよりも心にしみこんでくる定義のような気がします。

今行っているケアの振り返りには十分すぎるほど良いアドバイスをくれています。

これは職業団体の考える背景と、看護理論家が考える背景の違いが大きいと思いますが。

なんか奥が深いですね。さらなる看護の定義を探る楽しみが沸いてきました。

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 国際看護師協会の看護の定義でした。

ナイチンゲールから学んだ事は、看護師は患者を取り巻く環境について、良い状態を保つ事であるという事でした。

次に、ヴァージニア・ヘンダーソンは、どう考えていたのでしょう?  

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ヴァージニア・ヘンダーソンを知らない看護師がいるとは思えないですが、一応もう一度教科書を開くのがめんどくさい方のために、サラッとではあるがヘンダーソンの人物紹介をします。

ヘンダーソンはコロンビア大学にて看護学士・看護教育修士を取得しました。

ヘンダーソンは、ここで生理学者クロード・ベルナードの影響を受け、看護の定義には生理的なバランスの原則を理解することが必要だと考えました。

また、ソーンダイクの「基本的ニードの研究」は、ヘンダーソンの看護観を変えたといわれています。

そこからヘンダーソンは、なるべく患者の生活を正常な状況におく事を考えるようになっていきました。

ヘンダーソンの基本的ケアの構成要素

①正常な呼吸をすること  

②適切な食事と水分を摂取すること  

③体内の老廃物を除去すること(排泄)

④体を動かし、望ましい姿勢を保つ  

⑤睡眠と休養  

⑥適切な衣類を選こと(着衣・脱衣)

⑦体温調節  

⑧身体の清潔、皮膚の保護  

⑨安全の確保、又加害の予防

⑩自分の感情、欲求、恐怖あるいは”気分”を表現して他者とコミュニケーションを持つ

⑪宗教、信仰  

⑫達成感を持たせるような仕事をする  

⑬レクリエーションに参加する

⑭正常な発達や健康に導くことを学び、見出し、また好奇心を満たし使用できる医療施設を活用する

です。

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さて、そんなヘンダーソンは、看護をこの様にとらえていた様です。

・・・看護師の独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。
その人が必要なだけの体力と意志力を知識とを持っていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。
この援助は、その人が出来るだけ早く自立できるように仕向けるやり方で行う。
・・・

つまりヘンダーソンは、看護とは患者が日常生活を営んだり医師の指示した治療法を実施する上で欠如している知識意志体力を補足することによって患者を助ける事だと言っていると思います。

そのことはヘンダーソンの著書「看護の基本となるもの」のなかで、看護の実践面で

ニードを満たすように援助する

医師の治療方針がスムーズにいくように患者や医師を助ける。

としています。

ヘンダーソンもまた、直接的に看護師が患者に介入するのではなく、あくまでも手助けをする存在であるという事を強調しています。

私もそうであるが、人の世話をするのが好きな為、どうしても患者に直接的に介入したがる。

必要でもないのに、手伝ったり、介助したりしていると思います。

ことさら、大勢を相手に看護をするようになってから、患者個々に応じた能力を十分に把握する事を怠っている気がすます。

病名が同じなら、患者の行動様式も同じなどと勘違いし、そして厄介な事に、学生の頃は出来ていた様な気がすることです。

思い返せば、自分では無意識に出来ているつもりでいましたが、今は時間に追われる仕事をしてるため、患者のペースに合わせていられないと思うことが多いです。

すごく反省。
これが現実なのか、私はそれとも看護の真似事をしてるのでしょうか・・・?

ヘンダーソンの言葉で見つめ直してみます。 

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これから何回かに分けて、看護とは何かについてと考えてみる。

看護の定義については色々あり、どれが確実なものかと言うのは世界の看護界の中でも議論が分かれるだろう。

また、看護師個人においてもその定義は異なるし。

私的なブログなので、ここで私の看護観や見解を述べていく訳だが、その前に有名人の看護の定義をおさらいしてみる。

まずは、看護の母と言ってもいいだろう・・・「ナイチンゲール

看護はすべての患者に対して生命力の消耗を最小限度にするよう働きかけることを意味する」とナイチンゲールは「看護覚え書」の冒頭に述べている。

すなわち、看護とは患者に新鮮な空気、太陽の光を与え、暖かさと清潔を保ち、環境の静けさを保持するとともに、適切な食事を選んで与えることによって健康を管理することであるとしている。

とりもなおさず、健全な生活環境を整え、日常生活が支障なく送れるよう配慮することが看護なのである。(看護覚え書 うぶすな書院)

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学生の頃、テストのためにのこナイチンゲールの言葉を頑張って記憶した記憶がる。

環境を整え、患者の生命力を上げようっていうのが看護。

すごくシンプルで高度化した現代医療に、一見古いかのように見えるが、現場にいる看護師ならこのナイチンゲールの定義がまさに看護の根源に無くてはならないものだと実感させられる。

環境を整える大切さ、シンプルさ。

高度化し患者状態の管理に目を向けること目をやりすぎ、大事な事を思い出させる良い定義だと思う。

偉大なナイチンゲールに敬意を評したい。

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