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新しくなって帰ってきた、何でも看護のブログ編。日々の看護への気づきを、まったりと書き添えていきます。看護に興味のある方、コメント等を頂けると嬉しいです。
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看護師
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某看護大学を卒業。病院で働く看護師です。日々の看護への気づきを、まったりと書き添えていきます。看護に興味のある方、コメント等を頂けると嬉しいです。看護学博士。
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看護大学教授の研究能力は高いのか??

以前に私の勤務している病院にも某看護大学の教授が数年間研究指導に来てくれていました。

臨床家にとって研究はほんとうに難しいことです。

私たちの病院以外でも看護大学教授(准教授)も含めて研究指導を依頼しているところが多いと思います。

そして、多くの謝礼を払っています。

えーっそんなに払うの??なんて思ったことがあります。


ところが、良い研究ができたことがありますか?

私のいう良い研究とは、学術雑誌に論文を投稿し掲載されることをさします(「良い研究」などという基準は存在しませんが・・・)。

さらに言えば、多くの研究者にその論文が引用されたりするのが良いですよね(いわゆるインパクト・ファクターやサイテーションインデックス)。

和文看護系学術雑誌では、臨床ナースの書いたと思われる論文はあまり見ません。

見たとしても、それは修士論文の一部や博士論文の一部です。


私見ですが、臨床看護研究は学会発表がほとんどです。

余談ですが、看護協会の学会である「日本看護学会」は学会発表であって、その抄録は論文として認められません。
看護系大学の先生方にもこれを論文業績として書く方がおられると聞きます。

以前にも書きましたが、学会発表がエビデンスには成り得ません。


看護管理者の方、高いお金を支払って研究指導を依頼しますが、成果があがらないと感じることはありませんか?

大学教授の研究指導に十分理解できない臨床ナース側の研究能力が低い??のが問題でしょうか??

いえいえ私はそれだけではないと思います。


そもそも教えてくれている大学教授の研究能力自体が怪しいと思うのです


さて、ここからタイトルの本題に戻ります。

看護系大学が乱立し20年前では大学教員になれない人が大学教員になっていない方もいます。

その中で大学教授も例外ではないと思います。

他学部教授に比べて(特に医学部と比べると悲惨ですが・・・)研究業績の差がかなりあるでしょう(看護系大学教授の方が少ないです)。


ではなぜ大学教授になれたのでしょうか?

それは、看護大学教授は、研究業績よりも書籍の執筆で業績数を稼ぎ教授職になっていると思わる方が多いからです

また、看護系大学の場合、研究業績は論文数で評価されるので、質が悪い場合があります。

純粋に研究論文だけ見ていくと、10本程度の教授がほとんどでしょう。

知っている教授の研究業績をホームページで見てみてください。
(ホームページで公開している先生は、まだ親切です。公開していない先生は正直怪しいです)

さらに、その10本も質の悪い(査読のない商業雑誌、聞いたこともない学術雑誌や大学内輪だけの紀要雑誌)ものも含まれます。

(ただし書籍の業績も十分な大学教員の仕事の業績です。誤解のないようにお願いします。)


書籍の執筆は、研究を実践し論文を書くのとは違います。

臨床ナースは、研究指導を依頼している訳で、書籍(それも学部学生用の教科書)を執筆ばかりしていて研究論文の執筆は数年間(もしかして何十年間)やってないなんていう人から研究指導されたいですか?

貴重な時間と費用を払ってまで?

では、良い研究指導をしてくださる大学教授の条件は何か?

次回、また書きます。
乞うご期待!!
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みなさんが看護研究をした場合、その結果をどういうところで発表するのでしょうか?
 
多くの人の場合、学会に発表します。
 
では、看護学において学会とは何でしょう?
 
言葉は聞いたことありますよね。
 
私は、大学院に進学するまで、意味のわからない・得体の知れない、縁遠い存在?? って気がしていました。

そうです、みなさんが看護研究をしたら院内発表をするかもしれません。
あれも狭義の意味で“学会”ですよね。
 


さて、いわゆる“会”と2つの意味を持っていると思います。
 
1つは、〇〇学会という団体名
例えば、日本看護研究学会とか。
 

もう1つは、〇〇学会の主催する年1回程度の“学術集会”を指すことが多いです。
例えば、「今度学会で大阪に行ってくるね」とか「来月の学会発表は、札幌です」などをよく聞くと思います。
 
これは〇〇学会の主催する学術集会が、大阪や札幌で開催されて、ここに参加するかここで発表するという意味です。
 

この学術集会を一言で言うと“社交界の場”だと思っています
 
綺麗な衣装に身をまとい、きれいな言葉遣いで、自分の行なっている研究の一部を披露するのです。
 
自分の研究を発表して、その場にいる同業者?からアドバイスや意見をもらうのが大きな目的であると思います。
 
あとは、高名な先生にお会いしお話できる機会があったり、協賛の企業からいっぱい新製品の付録品をいただいて、それを病棟に持ち帰り試用してみることができます。
 
また、本をいっぱい書いている有名な先生が朝眠そうにしていたり、途中で居眠りをしていたりするのを見て、「ああ、あの先生も私と同じ人間なんだ」と安心できます
 
あとは、有名な先生が来るのが分かっていると自分の買った本を持って行き、サインをしてもらうこともあります。

そして、何と言ってもプチ旅行ができる、これがいいです。

こんなことを言ったら怒られますが、まあ、聞きたいプログラムが数個聞けたら、あとの時間は観光に回してしまう人が多いと思います。

知らない地域に行ったら、美味しい物を食べ歩き、パワースポットで癒されたいですよね。
 
こう考えると、普段体験できない別世界で、意外と楽しんですよね。
 
だから、“社交界”なんですよ。

それで、宿泊するホテルは観光地へのアクセスも考えて予約する必要があるのです。


学術的な意味からみると、学会発表はあまり影響力がありません
 
論文にする際に、引用することは間違いなくちゅうちょされます。
 
それは、学会発表の研究内容は査読が甘いからです。
 
過去に誰もとりかかっていない研究で、先行研究の論文が1つもない場合には、引用されるケースもありますが、それでも格式の高い学会誌ではあまりみないですね。
 
学術的な貢献度を査定される大学教員の業績も、学会発表は論文発表よりも低くなります。
医学部などは、ほとんど価値がない??のではと思います。
ないよりは良い程度でしょうね。
 
みなさんが論文を目にする際、引用文献のところに学会発表に使用した論文はほとんどないと思います。
 
つまり、エビデンスのある研究として世の中は認めてくれないのでしょう。
 
ですので、人によっては研究の中間段階などで人目にさらしておいて、意見やアドバイスを集めて、その後の研究に活かすという人もいます。
 
しかし、この段階で研究のアイデアを他の人に盗まれても、文句は言えません。
 
学会発表の学術的価値とは、その程度です。
 
学術的に影響力を持たせるために自分の研究成果を発表する場合は、査読の厳しい学会誌に論文として投稿する必要があります。
 
学会誌に掲載されて初めてその研究の学術的な意味が生まれます。
 
また、おいおいと学会誌の論文についてお話ししたいと思います。

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以前に書いた心音の聴取手順について、さらに分かりやすく書きます。

最後に心音聴取についての参考図書も付けますので、良かったら見てみてください。
  1. 移行聴診をこないます。聴診器の膜型の方で、はじめに解剖学的に見て心臓の上の部分である心基部(大動脈弁、肺動脈弁領域)から聞き始め、解剖学的に見て心臓の下の尖っている方胸骨左縁に沿って下へと、三尖弁領域、僧帽弁領域(心尖部)へと聴診していきます。
  2. 上記の順に、I音、II音、収縮期雑音、拡張期雑音と別々に集中しながら、音を聞いていきます。聴診するときは、患者さんに呼吸を止めてもらい、その時は、ナース自身も呼吸を止めるのが原則ですが、臨床上とても難しいので呼吸はなるべく気にせず行うことが多いです。
  3. 心基部、特に肺動脈弁領域では高調なII音の識別が容易と言われています。
  4. 心尖部ではI・II音の区別が明瞭ですが、心基部ではっきりしないときは逆の方向で行えばよ いでしょう。
  5. 心尖部では、聴診器の膜型とベル型の両方で聴診を行う。
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以上です。

心音の聴取は、看護師にとって難しいものではありません。

しかし、次回以降に解説しますが、聞き取った心音のアセスメントは非常に難しいです。

フィジカルアセスメント学の研究結果でも、聴取した肺音の鑑別は看護師でも容易に可能ですが、心音は臨床看護師も良く間違えるという論文を目にします。

そのため、最近の大学や専門学校での教育到達目標も、看護学生は肺音の聴取・音の判断は必要であるが、心音の音の判断は必要ないと考えられています。

しかし、言うまでもなく、循環器・ICU・CCUなどで働く人にとっては、心音の聴取・音のアセスメントは必須の能力です。


以前にホームページを開いていたときに、心音の聞き方やその音について詳しく紹介しました。
長年、ホームページを操作していなかったので、更新の仕方を忘れました

そのに書いた情報をこのブログに移動してみます。

まず初回は、聴診器の使い方です。

実は、聴診器は、働きながら使い分けていません
でも、聴診器は使い分けなくていけないですよね。

最近、看護の先生でもフィジかアセスメントの本を多く出していますよね。
そこでは聴診の仕方について多く書かれていますね。

臨床にいて、フィジカルアセスメントとコミュニケーション能力は、勉強した人とそうでない人の差は歴然と感じます。

実際、心音はベルで聞く方が良いって知ってました?

全く気にせず膜で聞いていました

えっ、膜とベルも知らない??

な~んてことはないですね・・・

まあ、これを見て【聴診器について】勉強してみてください。
  • 聴診器には、患者さんに直接当てる集音部があり、ベル型部分膜型部分に切り換えられる構造になっています。
  • 聴診器のベル型は低音性の音、聴診器の膜型は高音性の音を集音しやすいです。聴診器は、心音と呼吸音・血圧の聴診に適しています
  • 僧帽弁・三尖弁の心音には聴診器のベル型を、大動脈弁・肺動脈弁の音には聴診器の膜型を使用するのがよいと言われています。
  • 聴診器の集音部から耳までの管部は、短い方が音の伝導によいですが、短すぎると操作性がしにくいので、40~50㎝のものがよいでしょう。
  • 聴診器の耳に入れるイヤーピースは、耳にフィットするものを選ぶとよいでしょう。しかし、実際の聴診器は、試使用ができないので分かりませんけどね。
  • 患者さんの体表面に聴診器を当てます。そして、体内の臓器、血管・脈管が発生する機能音を聴診器から聞き取ります。その音や性状から、病気・病態・症状の有無や程度をアセスメントします。
  • 聴診器を体表に当てる際は、膜型は体壁にぴったり押しつけます。いっぽう、ベル型では特に軽く当てることが肝要です。(コツとしては、密着すれけども、決して圧迫させない。ベル型を強く当て てしまうと、皮膚面が膜様効果を起こしてしまい、低音特性を発揮しにくく集音しにくくなります。また、胸郭などの動きのある部位では集音部が体表面に対して動かないよう、そして、指などが使 用していない集音部に触れないように注意しましょう)
  • 例えば、胸部の聴診では聴診部位と順序がありますから、その解剖学的な位置関係を理解・考慮して、聴取した心音・肺音などをアセスメントします。
いかがでしょうか?

参考文献となる図書も載せておきます

良かったら再度勉強してみると、目からウロコが多いですよ

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世の中はすごく不況ですね。

大卒の就職内定率は、60%位ですよね。
先日ニュースで、大卒者が就職難民を避けるため、准看学校を再受験する人が多くいると聞きました。

不況になると、看護師を希望する人が増えます。
そのため、看護大学や看護専門学校の偏差値が上昇します。

これとは反対に、景気の良い時は偏差値が下がるのです。


看護師になるには、道(方法)はいくつもあります。

看護大学に行く。これは4年。
看護短大に行く。これは3年。
看護専門学校に行く。これは3年。最近、4年で看護師+保健師も取らせてくれるところもあります。
准看学校は、2年。今は、新たに準看の試験は受けれないので、その後正看の学校に2年いきます。つまり、計4年。

それぞれ監督省庁も違いますので、教育方法も異なります。


一般的にですが、大学も専門学校も、教室で勉強する座学の内容は同じなような気がします。
看護学を学ぶ際には、大学も専門学校も、同じような教科書を使います。
(専門学校での教育を受けたことがないので、聞き調べた程度の話ですので)

これは、どうしても国家試験をうけるために厚労省から縛られているカリキュラムがあるため仕方がないです。

では実際に大きく異なるのは、何か?
それは臨地実習だと思います。

大学の実習は、どこの病院に就職しても通用する学生を育てようとします。
ですので、病院で教わる技術よりも記録物のような思考能力の育成に力を注ぎます。

専門学校は、実習先の病院ですぐに通用する人材を育成する使命があります。
ですので、その病院の看護技術の習得させるような教育を中心的にします。

これが、大学生は技術がないとレッテルを貼られる原因になります。

しかし、専門学校の卒業生が技術が高いかというと疑問です。

実習先の病院ならば、慣れているのでその病院と同じやり方を直ぐに実践できます。
この点では、入職時に直ぐに実践できます。

でも、実習先でない病院に就職した場合、その技術力はほとんど無になっているをよく見ます。
これは、看護大学卒業生と同じ現象と思います。

まあ、技術力が有るか無いかを測る物差しはないので、主観的な判断をすることが多いのですが、私の印象としては大差ないと思います。

実習で使っている病院に就職してくる大卒看護師は、実習で使っていない病院に就職してくる専門学校卒看護師よりも、最初の頃は上手くできていると思います。

技術力の差と言っても、それは最初の数カ月です。
1年もすれば、個人の努力と才能で伸び具合が変わります。

でも、書いていて思うのが、病院の違いで技術が少々変わるのも問題ですね。
看護技術教育は、本当は自分で看護実践していない大学教員が教えているのでダメなのでしょうか?
看護技術の教科書を見ても、実際こんなめんどくさいやり方しないということが山ほどあります。

まあ、どの患者さんにも通用する看護技術を記載しなくてはいけないのが教科書でしょうから、いっぱい物品を準備して、いろんなコトに配慮してやるように書くのでしょうが・・・。

また今度、看護技術のエビデンスについて書きたいと思いますが、もっとアバウトにしても良いと感じることがけっこうあります。

例えば、清拭、洗髪、ベッドメイキング、移乗動作、体位変換や食事介助など。

教科書では、1例として技術紹介しているかもしれないですが、新卒さんは書いてあることが全てになってしまうのが現実です。

教科書で学んだ技術の応用は、まだできないですよね。

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ご無沙汰しております。

しばらくぶりにブログを始めようと思いはじめました。

最後に書いていたのが、2007年ですので、もう3年以上書いていませんでした。

この3年間、働きながら某看護大学の博士課程に進学していました。
もう少しで博士の学位をいただけそうです。


さて、私は今も臨床で働いています。
しかし、老人ホームは退職しました。

2年前から総合病院に再転職しました。
外科病棟でのんびりやっています。

今まで学んできた看護学に少しでも恩返しをしたいと思いまして、また細々とブログを書く予定です。

看護師の方だけでなく、看護に興味を持ち、また看護学を勉強しようという方にも見ていただけるようなブログにしたいですね。


ブログも左右のレイアウトを変えてみました。
カウンターも新調したので、0からのスタートです。


みなさん、本当にさぼりぎみで申し訳ありません。
少数でもファンの方が増えてきて、嬉しい限りです。

さて、今回の第6回は、アブデラは「看護」をどのように捉えていたのかを紹介します。

アブデラの略歴は、1945年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジで看護学学士号を取得します。
1955年には同大学で教育学博士を取得。
中央省庁に勤務し、主任看護官を勤めました。

1960年に、アブデラは、患者中心の充実した看護を呼びかけるために、有名な「患者中心の看護」を執筆されます。

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そこでは、アブデラは、「
看護は個々の患者および家族、社会に対するサービスである」ことを提案しました。

アブデラによれば、「看護は、科学、芸術であり、それらが看護師に対して人々を、健康、疾患に関わらず、人々の健康ニードに対応する助けたいという気持ちや能力を育み、その看護ケアに必要な個人のナースの態度とか知的能力やテクニカルな技術を型どらせる」と述べられています。

アブデラ看護理論の中心的な考えは、「看護は人々の健康ニードに関する問題に対して問題解決のアプローチをとる」というのものです。

主要概念には、「健康」「看護問題」「問題解決」の3つがあります。

アブデラは、正しい看護の問題の把握は、患者の問題解決への次へのステップを選ぶ看護師の判断に影響すると考えました。

そして、アブデラは、次の21の看護問題をあげ、看護師にとってどのような看護問題が患者におろるであろうかを予測するガイドライン的なものを作成しました。(詳しい内容は、理論の本を参照してください)

さてさて、ここまでがアブデラ看護理論のさらっとした概論です。

次に、アブデラの「看護」の定義づけについて考えてみます。

アブデラも、他の理論家と同様に、「看護とは・・・である」とは定義されていないようです。

しかし、看護の概念の方向性を示されているので、そこから予想してみたいと思います。

アブデラは、
看護は、個人と家族に対するサービスであるがゆえに、社会に対するサービスとなるである。これは芸術と科学に基盤づけられた個々の看護師の態度、知的能力、技術的能力を、病人、健康人を問わず、人の保健問題を援助するように活かし、そして、それは一般的、特殊的な医療方針のもとで遂行される」
と考えていました。

ここでアブデラの定義で驚くべき事は、看護の対象を「個人」だけでなく、「家族」や「社会」にまで拡大し、さらに「病人」「健康」は関係なく捉えていた点です。

国際看護師協会(ICN)のような近代看護定義では、当たり前のように看護の対象は個人だけではなく、健康・不健康も関係なくと考えていますが、1960年にすでにアブデラは近代看護の先端をいっていたのです。

なんという先見の明でしょう。

すなわちアブデラは、それまで病人への看護という「横断的な看護の提供」から、病気になる前から退院した後の看護という「縦断的な看護の提供」を考えたのです。

これって、「継続看護」の走りですよね。実は今では当たり前の、「継続的な看護の先駆者」だったのです。

まとめていくと、アブデラは
「看護とは、病気、健康を問わず、個人、家族、社会に、芸術と科学を基にして形成された看護師の態度、知的能力、技術的能力を提供すること」となるのでしょうか。
 
50年前に21世紀を見据えて看護観を持っていたアブデラの先見の明に敬意を表します。

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さて、久しぶりの再開の内容は、以前に理論の本を読んでとても勉強になった、マーサ・ロジャーズ博士にする事にします。

ロジャーズは、1914年5月12日に(ナイチンゲールと一緒です。本人はすごくつながりを感じていた様です)、テキサス州ダラスで生まれました。

ロジャースは、テネシー州のノックスビル総合病院看護学校で看護を勉強し看護師免許を取得しました。

その後、ロジャースは保健師として働いた後に、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで公衆衛生看護管理の修士号取得。
続いてジョンズ・ホプキンス大学で公衆衛生看護修士、理学博士号を取得しました。
1954年からはニューヨーク大学看護学部で公衆衛生看護、訪問看護の教授をしました。

ロジャースの代表的な看護理論は、
「ユニタリー・ヒューマン・ビーイング」
という名で数多くの論文として発表されました。

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ロジャーズ看護理論の基本となる重要な概念は、
「人間は開放系であり、宇宙と恒常的に相互作用を続ける複雑な電気力学的な場である」

「生命過程をホメオダイナミックと概念化し、4つの原理(後に3つに変更)を明らかにした」
という2点だと私は思いました。

つまり、ロジャースは、それまでに誰も考えなかった看護理論として
「人間の生命過程の特徴を4つの領域
エネルギーの場としての人(一つの単位としての人間存在)、開放系(つまり、完結することのないシステム)、さまざまなパターン様式、時間と空間に留まらず物事には様々な次元があるということ」
を提起しました。

これは当時には衝撃的な事だったと思います。

今も理解するのに困難ですが・・・

さて、本題ですが、ロジャーズは「看護」をどの様に定義していたのでしょう。

明確な定義を行なってはいないのですが、
「看護とは・・・」
と何度か言っておられるので、そこから私が想像してみたいと思います。

それは・・・まとめると、ロジャースは、
「看護とは、科学的な看護研究と論理的分析によって明らかになった、科学と技芸を用いる知的専門職業」
ではないか考えていたと思います。

すなわちこれは、看護は科学の一部であり、看護学を学んだ者でしか、その思考、技術は行なえないという事です。

看護は誰にでも出来るものではなく、看護学を学んだ者でしかできない、知的専門職業なんです。

そう思うと、我々は医師の補助者ではなく、病院の何でも屋でもなく、無くてはならない専門職なのです。

私は、これを目にしてすごく励まされました。

日々の業務の中で、「看護の専門性ってなんだろう」って考えていると、よくわからないといのが現実でした。

でも看護学を日々勉強し、それを極めていこうとしている看護職はすてきだと思います。

多くの看護師はそれを目指して頑張っているんだと、改めて気がつきました。

宇宙から人間を見て看護を展開しようとするロジャーズ博士の、大きな人間像に感銘を受け、日々の自分の看護に勇気と元気を頂いたような気がします。

お久しぶりです。

本業が忙しく、全く手をつけないでいました。

しかし、毎日数人ではありますが・・・このブログを見て頂ける方がいらっしゃるので本当に感謝です。
さらにコメントを頂いて、書く意欲を書きたてられます。

細々と、私の勉強した事や、思い、感じた事を書き添えていきますので、コメントや感想、ご意見など頂けるとありがたいです。

ご無沙汰しております。

しばらくぶりに、看護の定義について考える を書き進めようと思います。

今回は、ぺプローについて取り上げ、ペプロ-の看護観を探ってみる事にします。

まずは、ぺプローの略歴から紹介します。

1931年に病院付属の看護学校を卒業。その後心理学で学士、コロンビア大学で博士号取得しました。

日本では1952年に発表された「人間関係の看護論」が有名です。

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ペプロ-の「人間関係の看護論」とは、噛み砕いて説明すると・・・(詳しく知りたい方は自分で勉強してくださいね)

ペプローの理論は、ソーンダイクのニード論、サリバン、フロムの人間関係の理論から影響を受け構成されています。

ペプローは、心理学学士の教育背景から、看護への心理学的理論のアプローチを試みました。

それまでは、非常に緊密な看護師-患者関係は精神看護の分野で扱われる問題と解釈されていたようです。

しかし、ペプローは全ての看護場面で円滑な看護師-患者関係が必要であると訴えています。

ペプローにとって、看護の定義は次のように考えていたようです。

・・・「看護は有意義な治療的人間関係の過程である。看護は地域社会の人々の健康増進するため、様々な人間関係と協力的な機能を果たす。専門職保険医療チームが健康サービスを行う特定の状況においては、看護師は人体の自然回復傾向を助長するような条件を構成する役割を分担する。看護は教育的な手段であり、成熟を促す力であり、人格の創造的、建設的、生産的な方向への発展および個人生活、地域社会生活の進歩を促す事を目指している。」・・・

ペプローの看護理論は、まさに看護とは「看護師-患者の人間関係」を中心と捕らえているとかがすごく共感できます。

さらに、ペプロ-は、患者のニーズの充足をしつつ、患者と共に看護師が共通のゴールに向けて成長しなさいといっています。

ペプロ-は、この患者のために必死に看護師が努力する過程が、看護師の成長を生み、看護の発展につながるのだと言っています。

確かにその通りだと・・・

学生時代、担当患者の為に寝ずに退院パンフレットや生活指導用の教材を作製した事を思い出しました。

段々と看護師として年数を重ねるごとに、そんな事をしなくなってきていました。

それは成長したのかもしれませんが、成長が止まった事でもありますね。

反省です。

忘れていた思いが蘇ります。

「患者さんに、私の情熱が伝わる看護をしたい。」

私が卒業時に言っていた言葉です。

今私は、どれだけ患者に情熱を持って看護しているのか・・・。問いただして・・・

人間味のあるペプロ-博士の思考に触れられました。

 

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