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3回目の今回は、世界最大でもっとも看護界に影響力のある、国際看護師協会の考えている看護の定義について。
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ちなみに国際看護協会(ICN)とは、何だろうという方の為に。
国際看護師協会(International Council of Nurses / ICN)は、各国の看護師協会(national nurses' association / NNAs)から成る組織で、125もの国の看護師を代表しています。
国際的な保健医療専門職団体として、1899年に世界で初めて設立された最大の組織です。(2003年7月現在、加盟協会数は125ヶ国(地域)125協会。) : 日本看護協会より。
そして、現在の国際看護師協会(ICN)の会長は、戦後の日本の看護界を牽引し多大な功績を上げ続けている南裕子先生。
この人は学会でお会いしたが・・・オーラが出ていたのを記憶しています。すごく魅力的な人柄であったのも記憶しています。
さて世界の看護師の親玉である国際看護師協会(ICN)は、我々の看護という言葉をどの様に定義しているのでしょう。
看護とは、あらゆる場であらゆる年代の個人および家族、集団、コミュニティを対象に、対象がどのような健康状態であっても、独自にまたは他と協働して行われるケアの総体である。看護には、健康増進および疾病予防、病気や障害を有する人々あるいは死に臨む人々のケアが含まれる。また、アドボカシーや環境安全の促進、研究、教育、健康政策策定への参画、患者・保健医療システムのマネージメントへの参与も、看護が果たすべき重要な役割である。 : 日本看護協会訳より
これは恐らく、現在考えられている最新かつ最高の定義なのです。
私の印象ですが、ありとあらゆる分野で働く看護職を漏らさず頑張って定義の中に押し込んだ感がします。
全ての分野で働く看護師に、看護とは看護師の行う全ての行為を看護と呼びますと。
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それは定義として成り立っていくのでしょうか(というかもう既に成り立っていますね)・・・確かにそれは理解できますが・・・、曖昧に定義して、含みを持たせて、看護師は色々な事をして行こうという下心もチョット見えます。
まあ、多くの人が感じているかもしれませんが、看護師は何でも屋であるから、定義は曖昧にしておいた方が、色々な事ができるからいいという感じもします。
国際看護師協会(ICN)ですら、このように曖昧な定義ですから看護とは何かを探る事は非常に難しくなってきました。
この定義は、頭で理解は可能ですが、実際の看護師の看護の価値観を変えるような定義にはならないような気がします。
少なくとも私はこれを私の看護の支柱には出来ません。
しかし、ナイチンゲールやヘンダーソンの定義については、頭で理解するよりも心にしみこんでくる定義のような気がします。
今行っているケアの振り返りには十分すぎるほど良いアドバイスをくれています。
これは職業団体の考える背景と、看護理論家が考える背景の違いが大きいと思いますが。
なんか奥が深いですね。さらなる看護の定義を探る楽しみが沸いてきました。
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国際看護師協会の看護の定義でした。
ナイチンゲールから学んだ事は、看護師は患者を取り巻く環境について、良い状態を保つ事であるという事でした。
次に、ヴァージニア・ヘンダーソンは、どう考えていたのでしょう?
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ヴァージニア・ヘンダーソンを知らない看護師がいるとは思えないですが、一応もう一度教科書を開くのがめんどくさい方のために、サラッとではあるがヘンダーソンの人物紹介をします。
ヘンダーソンはコロンビア大学にて看護学士・看護教育修士を取得しました。
ヘンダーソンは、ここで生理学者クロード・ベルナードの影響を受け、看護の定義には生理的なバランスの原則を理解することが必要だと考えました。
また、ソーンダイクの「基本的ニードの研究」は、ヘンダーソンの看護観を変えたといわれています。
そこからヘンダーソンは、なるべく患者の生活を正常な状況におく事を考えるようになっていきました。
ヘンダーソンの基本的ケアの構成要素は
①正常な呼吸をすること
②適切な食事と水分を摂取すること
③体内の老廃物を除去すること(排泄)
④体を動かし、望ましい姿勢を保つ
⑤睡眠と休養
⑥適切な衣類を選こと(着衣・脱衣)
⑦体温調節
⑧身体の清潔、皮膚の保護
⑨安全の確保、又加害の予防
⑩自分の感情、欲求、恐怖あるいは”気分”を表現して他者とコミュニケーションを持つ
⑪宗教、信仰
⑫達成感を持たせるような仕事をする
⑬レクリエーションに参加する
⑭正常な発達や健康に導くことを学び、見出し、また好奇心を満たし使用できる医療施設を活用する
です。
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さて、そんなヘンダーソンは、看護をこの様にとらえていた様です。
・・・看護師の独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。
その人が必要なだけの体力と意志力を知識とを持っていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。
この援助は、その人が出来るだけ早く自立できるように仕向けるやり方で行う。・・・
つまりヘンダーソンは、看護とは患者が日常生活を営んだり医師の指示した治療法を実施する上で欠如している知識、意志、体力を補足することによって患者を助ける事だと言っていると思います。
そのことはヘンダーソンの著書「看護の基本となるもの」のなかで、看護の実践面で
①ニードを満たすように援助する
②医師の治療方針がスムーズにいくように患者や医師を助ける。
としています。
ヘンダーソンもまた、直接的に看護師が患者に介入するのではなく、あくまでも手助けをする存在であるという事を強調しています。
私もそうであるが、人の世話をするのが好きな為、どうしても患者に直接的に介入したがる。
必要でもないのに、手伝ったり、介助したりしていると思います。
ことさら、大勢を相手に看護をするようになってから、患者個々に応じた能力を十分に把握する事を怠っている気がすます。
病名が同じなら、患者の行動様式も同じなどと勘違いし、そして厄介な事に、学生の頃は出来ていた様な気がすることです。
思い返せば、自分では無意識に出来ているつもりでいましたが、今は時間に追われる仕事をしてるため、患者のペースに合わせていられないと思うことが多いです。
すごく反省。
これが現実なのか、私はそれとも看護の真似事をしてるのでしょうか・・・?
ヘンダーソンの言葉で見つめ直してみます。
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これから何回かに分けて、看護とは何かについてと考えてみる。
看護の定義については色々あり、どれが確実なものかと言うのは世界の看護界の中でも議論が分かれるだろう。
また、看護師個人においてもその定義は異なるし。
私的なブログなので、ここで私の看護観や見解を述べていく訳だが、その前に有名人の看護の定義をおさらいしてみる。
まずは、看護の母と言ってもいいだろう・・・「ナイチンゲール」
看護はすべての患者に対して生命力の消耗を最小限度にするよう働きかけることを意味する」とナイチンゲールは「看護覚え書」の冒頭に述べている。
すなわち、看護とは患者に新鮮な空気、太陽の光を与え、暖かさと清潔を保ち、環境の静けさを保持するとともに、適切な食事を選んで与えることによって健康を管理することであるとしている。
とりもなおさず、健全な生活環境を整え、日常生活が支障なく送れるよう配慮することが看護なのである。(看護覚え書 うぶすな書院)
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学生の頃、テストのためにのこナイチンゲールの言葉を頑張って記憶した記憶がる。
環境を整え、患者の生命力を上げようっていうのが看護。
すごくシンプルで高度化した現代医療に、一見古いかのように見えるが、現場にいる看護師ならこのナイチンゲールの定義がまさに看護の根源に無くてはならないものだと実感させられる。
環境を整える大切さ、シンプルさ。
高度化し患者状態の管理に目を向けること目をやりすぎ、大事な事を思い出させる良い定義だと思う。
偉大なナイチンゲールに敬意を評したい。
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病院を離れて・・・色々思う事が多くなってきました。特養勤務ですから、利用者にもしも急変があった場合などは、近くの総合病院へ受診になります。大学病院時代では、なかなか他の病院の看護師と接する機会はありませんが、今は月に2,3回は救急外来への受診をします。結構、利用者のお年よりは、直ぐに急変しますし。
さて本題ですが、行く度に気になる事があります。それは、救急外来での看護師の言葉遣いです。時より、不快感を覚えますね。総じて、看護師の言葉遣いの悪さには、色々な共通点がありますね。
まずは、全ての人にため語です。看護は、少なくとも患者よりも立場が上でありません。あってはならないと私は考えています。昨今は「患者様」と呼ぶ時代・・・、なのに「00様」と呼びつつも、その後は上から目線のため語です。きっと可愛らしいおじいちゃん・おばあちゃんに、親しみをこめて敬語よりもため後を使っているのでしょうが、傍から見てる私には、「様」を使って一見は患者を立てているが、その本心は上から目線で見ている醜さがど~にも嫌です。
入院生活のお互いの時間の共有の中で、ラポールが形成され、人間関係が構築されていくのであり、その中からお互いの同意の下に敬語の壁も越えていくのが、自然の成り行きだと思います。その過程を飛ばして、いきなり勝手に自分でラポールの形成をしたとでも錯覚しているのか・・・。
次に、私の印象ではICU等の急性期病棟勤務看護師が多いと感じていますが、自分のペースでコミュニケーションをとりたがる傾向が強すぎます。円滑なヘルス・コミュニケーションは、相互作用で機能します。つまり、伝達者だけが情報を送信しても、受信者がその内容を受け止め、それに返信して成り立つものです。私が感じるに、コミュニケーション能力の優秀な看護師は、送受信が必ず出来ます。相手の反応を見ながら、情報を送信し、受信できます。
ところが、急性期病棟看護師の傾向は、自分の伝えたい情報だけを喋りたがります。相手の理解は、自分が全ての情報を発信したときに、確かめています。それも、理解出来たのか非か。だから、途中で質問を入れると嫌がりますし、忙しいさを相手に伝えるために(わざとか、無意識かは不明ですが)早口で喋ります。後、時と重要性を判断する能力も低いです。だから、ささいな情報のはずが、常に優先順位の上位に来てしまい、何でもかんでも情報を送信してしまいます。患者(受信者)は、大して重要でない情報まで与えられて、さらなる混乱を引き起こされているように思います。
日本の卒後看護教育で、急性期病棟のはたす役割は大きいです。恐らく、フィジカルアセスメント、看護技術・医学的知識等の能力を学ぶには最高の場でしょう。しかし一方で、急性期病棟にはコミュニケーション技術の向上に、前述のような能力同等の向上を期待はできないんでしょうか。
さてしばらくぶりにブログを書きます。
看護にまつわるブログって意外と少ないの気が付いていました?
ある事はあるんですが、内容はナースの日々の日記が多いですね。
だから私はそれプラス、看護のさまざまな疑問、問題をこの場を借りて誰かと話し合いたいなって思っています。
私のいた某大学病院や今の職場で、そんな疑問や問題を言っても、愚痴に取られかねないし、ましてやそれを話すのも何だか「この人は、看護の事しか頭に無い?看護馬鹿?」って思われそうで、私は中々いえません。
そうなので、この場で誰かにお話できたら嬉しいなって始めます。